セナの技術力



1. はじめに

セナとシューマッハーの比較を求められた時、多くのファンや関係者は、 「セナは速い」、「シューマッハーは強い」などといった漠然でイメージ的な回答を示す中、 かつてのセナのボスであるマクラーレンのロン・デニスは次のような趣旨の興味深い見解を述べている。


「同じマシンをそのまま与えられたならシューマッハーの方が速いかもしれないが、 そのマシンにセッティングを加えたらセナの方が速いだろう」*


これはセナのセッティング能力や技術力の高さを示しているものと思われる。 セナとシューマッハーの比較は別項に譲るとして、 ここではセナの技術力を検証してみたい。



2. 感知能力

セナは1984年にF1にデビューした。この頃は1983年にホンダが第2期F1活動をスタートさせ、 コンピュータ・テレメトリーを本格的に導入させた頃である。 F1のピットが、それまでの油くさい自動車整備工場から、 コンピュータを駆使し急速にハイテク化が進んでいく時代だった。 セナはそんな時代の寵児として自らの能力を発揮していく。

セナは非常に敏感な感知能力を備えていると言われている。 デビューして間もないロータス時代の逸話。 セナはテスト中に各コーナーごとのエンジン回転数を感知し、記憶していた。 タイムアタックのようなドライビングの最中、自らのマシンの状態を感知し記憶するのは至難の業であると思われる。 しかしピットに戻りコンピュータ・テレメトリーでエンジン回転数を調べてみると、 セナが記憶していた回転数と全く同じだった。 さらに、セッティングの変更によるラップタイムの変化をも予測し、 実際に予測した通りのタイムを叩き出していたという。

またセナとホンダの最初のジョイントである1987年ブラジルGPでのこと。 セナはエンジンに異変を感じ、壊さないうちにレース途中でマシンをコース脇に止める。 ホンダのスタッフはピットに戻ってきたエンジンを調べるが、トラブルは全く見つからない…。 ホンダのスタッフはその時セナの言動を疑ったそうだ。 しかしその後エンジンを分解して詳しく調べてみると、ピストンが焼き付く寸前だった。 セナのマシン感知能力を前にして、ホンダスタッフは逆にセナへの信頼を厚くしていった。

限界を感知する能力としては、細かくアクセルをオン/オフする「セナ足」と呼ばれるアクセルワークも そのうちの一つかもしれない。 さらに、元ホンダ総監督である桜井淑敏氏は、「セナは99.99%まで限界点を感知することができるが、 シューマッハーは99%がいいとこで、99%を越えたら100がなくて101になる」とも語っている。 (ちなみに桜井氏は、「1%刻みで感知しコントロールできるシューマッハーも並みの F1ドライバーに比べれば圧倒的に優れている」と補足している)  (早川書房「セナ」、携帯サイト「セナと桜井のF1」より)

その他、ブレーキのわずかなバランスの変化を指摘したり、 アンダートレイ(マシン底部)のボルトの締め具合を確認・調整させたり、 さらにカート時代にはわずか1mmのタイヤの大きさの違いに気付くなど、 セナの動物的とも思えるほどの感知能力に関するエピソードには枚挙に暇がない。



3. マシン開発能力

セナはその非常に敏感な感知能力を駆使してマシン開発を行っていった。 技術的知識にも長けていて、エンジニアやメカニックとも何の不自由もなく 専門的なミーティングを行っていたという。

セナは特にエンジンの開発能力に優れ、自らもエンジン開発の方が興味があると語っている。 これはカート時代からのことであり、さらにF1にステップアップしてからはホンダのエンジン開発に対する熱意に 共感したことも影響しているのかもしれない。 しかしセナはシャシーの開発にも優れ、幾度となくマシンの戦闘力向上に貢献してきた。

1993年、マクラーレンは型落ちのフォードエンジンを搭載し、厳しい戦いを強いられていた。 特に中盤戦は同じフォードエンジンを搭載するベネトンに大きく水を開けられていた。 シーズン途中からマクラーレンはベネトンと同じエンジンを供給されたが、 それでも予選ではセナは当時ベネトンに乗るシューマッハーに1秒~1.5秒も引き離されることもあった。

これはマクラーレンのマシンが高速コーナーで不安定な動きをするために、 ウイングを立ててダウンフォースを得なければならず、そのためにストレートスピードが落ちたためである。 しかしセナはテストによってフロント部分の改良を指示。 このことが功を奏し、シーズン終盤はベネトンを完全に上回り、当時最強を誇っていたウイリアムズにも迫る強さを発揮。 セナは日本GP、オーストラリアGPを連勝しシーズンを締めくくっている。

またセナの最後のシーズンになったウイリアムズでの1994年。 この年からアクティブサスペンションなどのハイテク制御に規制がかかる。 前年までそこに強さを見出していたウイリアムズは一気にアドバンテージを失い、 それをエアロダイナミクスで補おうとしたマシン FW16 は非常に過敏で扱いにくいマシンになってしまった。

セナは予選ではPPを奪うものの、レースでは不運も重なり開幕から2連続リタイア。 しかしセナだからこそあのマシンでPPを奪えたという見方も強い。 それほど FW16 はシーズン序盤は安定性を欠き、問題の多いマシンであった。 そしてそのまま第3戦サンマリノGPでセナは伝説になってしまう…。

しかしセナの死後、ウイリアムズのマシンは徐々に安定性を取り戻し、 最終的にはチームメイトのヒルがシューマッハーと堂々とチャンピオン争いを繰り広げるまでになった。 実はこれには生前のセナのテストとアドバイスがとても貢献していたという…。 もしもセナが事故に遭わずにそのままシーズンを戦っていたら…。悔やまれる思いである。



4. テストは嫌い??

セナはシーズンオフはブラジルに戻り、心と身体をリフレッシュすることが多かった (新チーム移籍時には環境に慣れるために早めにチームに合流)。 また1993年は契約の問題から前半戦はテストに参加できなかった。 これらのことが影響しているのか(?)、セナはマシン開発に重要なテストに参加することを 好んでいないといったイメージが一部であるようだ。

しかしセナは実はF1界きってのハードワーカーだった。 1982年のワールドチャンピオンであるケケ・ロズベルグは、 「セナがF1をプロフェッショナルな世界へと押し上げた」*といった趣旨の発言をしている。 それまでのF1ドライバーはどちらかというと公私を分離させ、 レースが終わると優雅な生活に戻っていくといった雰囲気が強かったようだ。

それに対しセナは生活の全てをF1に捧げ、積極的にテストにも参加した。 セナはサーキットに最初に現れ、最後に帰っていくといった日もあったようだ。 そしてセナはただ速く走るだけでなく、 その優れた技術力を駆使しメカニックやスタッフとの対話を大切にし、チーム全体の士気を高めていった。 テストやイベントなどの予定がびっしりと詰まっている現代のF1ドライバーの生活スタイルの基礎をつくり、 スタンダードを引き上げたのはセナだった。こんなところからも、 「セナはテストに参加しない」「セナはテスト嫌い」「チームを大切にしない」などといった意見は正しいとは言えず、 むしろ逆であった。

ちなみにセナはシーズンオフ、ブラジルでトレーニングを積んでいた。 セナはF1デビュー当初、体力の問題を抱えていた。 しかしセナはすぐに自らの弱点を克服するために、トレーナーのヌノ・コブラ氏の下で、 しなやかで持久力のある筋肉作りに取り組んでいった。 それは運動中の心拍数をもコントロールするという高度なものであった。



5. おわりに

セナの「速さ」は天性の走りによって生み出されているといったイメージもあるが、 実は優れた感知能力と技術力、さらには努力によってなし得ていた。 セナは優れた「技術者」でもあり、マシンを仕上げていくという作業において、 近代F1では欠かすことのできない高い能力を備えていた。 マシンの性能を100%以上引き出し、精確でかつ切れ味鋭いセナのドライビングは、 その技術力に裏づけられていたからこそ可能だったのかもしれない。


*…コメントの出典元を確認できませんでした。また日本語に翻訳される段階で、 若干意訳されている可能性もあります。ご了承ください。



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