1992年8月28-30日
ベルギー スパ・フランコルシャン サーキット
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前戦ハンガリーGPでは11戦目にして早くもマンセルのチャンピオンが決まった。
「チームオーダーも関係ない、本能のバトルが始まる!」とは古館伊知郎氏。
と同時に、翌シーズンのシート争いも加熱していく。ベルガーは早々と古巣フェラーリへの移籍を決めた。
セナはウイリアムズへの移籍を希望しつつ、1年間の休養をもほのめかす…。 金曜日は、1992年の「いつも」の金曜日とは違っていた。 この年まではエントリーが30台を越えていたので、 下位チームによって予選に出場するための予備予選が行われていたが、 名門ブラバムが財政難などからベルギーに現れることなく、予備予選は行われなかった。 この後もブラバムはサーキットに姿を見せることはなく、名門チームがまた一つ消えていった。 午前のフリー走行では衝撃的なシーンを目の当たりにする。 コマス(リジェ)が大クラッシュしたのだ。一瞬動きが止まるコマス。 そこに後方からセナが近づいてきた。セナはマシンをコース脇に止め、一目散にコマスのもとに駆け寄った。 セナはリジェのコックピットに乗り出すようにして、コマスを気遣った。 それは、セナの人間としての「優しさ」を垣間見たシーンだった。 幸いにもコマスは無傷だったが、検査のために病院へ運ばれ、このベルギーGPの出走を取りやめた。 セナはここベルギーで4連勝中。 しかし得意のスパでも、この年のウイリアムズには明らかに劣勢で、 セナの腕をもってしてもその差を埋めるのは難しいものだった。 金曜予選では、いつものようにマンセル(ウイリアムズ)が暫定PP。 2位にはセナが食い込んだが、マンセルとは2秒以上の差があり、 さらにこれは、もう一台のウイリアムズを操るパトレーゼのスピンがあったためだった。 パトレーゼは4位で、3位にはデビュー1周年のシューマッハー(ベネトン)。 土曜日は朝から雨で、金曜の順位がそのままグリッド順になった。 決勝レースの朝は晴れていた。しかし、レースが近づくにつれて上空には雲が広がり始め、 スタート直前には雨滴が落ち始めた。このときはまだレースには影響しない程度だったので、 全車スリックタイヤを装着してスタートの時を待つ。 スタートではセナが好ダッシュを決めて1コーナーを奪っていった。 以下、マンセル、パトレーゼ、アレジ(フェラーリ)、シューマッハーと続く。 しかし6位スタートのベルガー(マクラーレン)はクラッチが壊れてしまい、 少しも動かないままグリッド上でリタイアを余儀なくされた。 トップを奪ったセナだったが、後方からはマンセルがプレッシャーをかけていく。 1周目はなんとか踏ん張ったものの、2周目にはマンセル、そしてパトレーゼにもかわされ3位に後退した。 そしてこの頃には、雨は本格的になりつつあった。 1-2フォーメーションを完成したウイリアムズ勢もすぐに、 3周終了時にマンセル、6周終了時にはパトレーゼがレインタイヤに交換。 他チームも次々とレインタイヤに履き換える。 これによって再びトップに立ったのはセナだったが、一向にピットに入る気配がない。 セナは、雨はすぐに止むと予測し、さらに普通に走っていたらウイリアムズ勢に勝てないと思い、 そのままスリックタイヤで走ろうとしたのだ。 ただでさえ危険なスパのコースを、雨の中スリックタイヤで全くマシンを乱すことなく、 見事なコントロールで走っていた。 しかし雨足はさらに強くなり、後方からはレインタイヤに交換したライバルたちが迫ってきていた。 そして11周目にマンセルにかわされると、 立て続けにパトレーゼ、シューマッハー、ブランドル(ベネトン)、ハッキネン(ロータス)にもかわされる。 スリックタイヤに比べとレインタイヤではペースが格段に速く、 セナもほとんど抵抗することなくレインタイヤ交換組を先に行かせた。 セナはたまらず、14周終了時にピットに戻りレインタイヤに履き替える。 コースに戻ったとき、13位にまで後退していた。 しかしセナは諦めることなくここから必死の追い上げを見せる。 運が悪いことに、セナがピットに入った直後から雨が弱くなってきたが、 雨が止みコース上が乾いてくると、今度はセナが真っ先にスリックタイヤに交換しにピットに入ってきた。 セナの的確な判断とピットの迅速な作業で、1つだけ順位を下げただけでコース復帰。 各車タイヤ交換を終えると、セナは入賞圏内の6位にいた。 5位ハッキネンに対し、セナはFLを出しながらジリジリとその差を詰めていく。 そして残り2周になった43周目のオールージュでハッキネンの背後につき、 ケメルストレートからレ・コームにかけてでハッキネンをパス。 ロータスという中堅チームながらセナと対等に勝負を挑んだハッキネンも、 そしてあの危険なオールージュでハッキネンの真後ろにピッタリとつけて走ったセナも、 見事で見ごたえのあるバトルだった。 セナとハッキネンはそのままの位置関係で、5位・6位でチェッカーを受けた。 「1ポイントを獲得するごとに、メカニックたちにもボーナスがいくと知っていたから、 1ポイントじゃなくて2ポイントプレゼントすることに決めたんだ」とはセナ。 一旦は13位にまで順位を落とし優勝争いからは脱落してしまったが、 すぐに新たなモチベーションを探し出し、最後まで見事な走りを見せてくれた。 このレースでは結果的にセナの作戦は失敗してしまったが、 危険なスパのコースを雨の中スリックタイヤで見事にマシンをコントロールした走りはまさに芸術だった。 記録は5位と、セナのキャリアの中では標準以下であったかもしれないが、このレースも「隠れた名レース」だったと思う。 セナの完璧なまでのドライビング・テクニック、そして「勝つためにレースをするんだ」という姿勢など、 ある意味ではセナの真骨頂を見ることができたレースと言えるかもしれない。 レースはシューマッハーが初優勝を飾った。彼は中盤、コースアウトするというミスを犯したが、 コースに戻るときに前を走り抜けたチームメイトのブランドルのリアタイヤにブリスターができていたのを見て、 「今こそタイヤを換えるときだ」と判断し、セナの次にスリックタイヤに換えた。 この早目の行動が吉と出て、数周後に遅れてピットに入ってきたウイリアムズ勢を逆転し優勝へとつながった。 その走りとともに、ミスをも自らの糧とするところなどが、 デビューして1年とは思えないほどの実力をすでに持っていた。 エキゾーストパイプが壊れてシューマッハーを捕らえ切れなかったがマンセルは2位に入り、 そしてパトレーゼも3位4ポイントを獲得し、 5年振りにウイリアムズがコンストラクターズ・チャンピオンを奪還した。 これで4年間守り続けたマクラーレン・ホンダの天下も完全に終わり、 次戦でホンダのF1撤退も発表されることになる。 チャンピオンシップも決まり、次はセナの1993年への動向に注目が集まることになった。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ルノー | 1'50"545 |
2位 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'52"743 |
3位 |
ミハエル・シューマッハー | ベネトン・フォード | 1'53"221 |
4位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'53"557 |
5位 |
ジャン・アレジ | フェラーリ | 1'54"538 |
6位 |
ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 1'54"642 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
ミハエル・シューマッハー | ベネトン・フォード | 1゚36'10"721 |
2位 |
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ルノー | 1゚36'47"316 |
3位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1゚36'54"618 |
4位 |
マーティン・ブランドル | ベネトン・フォード | 1゚36'56"780 |
5位 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1゚37'19"090 |
6位 |
ミカ・ハッキネン | ロータス・フォード | 1゚37'20"751 |
FL |
ミハエル・シューマッハー | ベネトン・フォード | 1'53"791 |