1985年6月14-16日
カナダ ジル・ビルヌーブ サーキット
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前戦モナコから4週間のインターバルを置き、戦いの場は海を越えて北米大陸・カナダへ。
このカナダでのレースがその後のセナのレーサー人生のターニングポイントとなる。 予選は金曜日2位。土曜日にはタイムアップしたがチームメイトのデ・アンジェリスには0.2秒及ばず2位。 ロータスの2人がフロントローを独占し、レースへの期待をのぞかせた。 決勝レースも1列目のロータス勢が好スタートを切る。 デ・アンジェリスがトップを守り、セナがこれに続いた。 しかし早くもセナにトラブルが生じる。 6周目にターボブーストが低下し、そのままピットイン。 さらにターボがものすごい熱だったのでしばらく何も手をつけることもできず、 修復まで長時間を費やした。 セナがコースに戻ったときにはすでに5周も周回遅れになっていたが、 セナは諦めることなくここから激走を見せる。 同一周回でのバトルはないものの、45周目にはファステストラップを記録するなど速さを見せた。 結局、完走者の中では下位から2番目の16位に終わったが、 走りの内容そのものは素晴らしかった。 ただ、セナにとって大きかったのは、自らの走りだけではなかった。 レース中、同一周回ではなかったが、セナはロズベルグ(ウイリアムズ)とギリギリのバトルを展開。 最終的にロズベルグはストレートでホンダパワーを生かし一気にセナをオーバーテイクしたが、 その時、セナはホンダエンジンに感銘を受け、どうしてもホンダエンジンが欲しいと思ったそうだ。 今後、ワールドチャンピオンを狙っていくセナにとって、強力なホンダエンジンはとても魅力的だったのだろう。 セナは次第にホンダへの想いを強くし、翌86年のモナコGP開催中に当時のホンダ総監督の桜井淑敏氏との初対談が実現。 セナは、ホンダエンジンに乗りたいと直訴し、ホンダ側もセナに興味を示していた。 そして87年にセナはホンダエンジンをドライブすることになる。 セナはこのときはまだ、ホンダエンジンの性能だけに魅力を感じていたのかもしれないが、 後にホンダのスタッフの勤勉な働きぶりや裏のない性格などに信頼・共感し、 ビジネスを越えた友情で結ばれていく。 そしてセナとホンダはマクラーレンにおいて黄金時代を築いていった。 その礎(いしずえ)がこの85年カナダGPと言えるかもしれない。 セナとホンダの「出会い」がそこにあった。  | 
ドライバー  | 
チーム  | 
タイム・備考  | 
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PP  | 
エリオ・デ・アンジェリス | ロータス・ルノー | 1'24"567 | 
2位  | 
アイルトン・セナ | ロータス・ルノー | 1'24"816 | 
3位  | 
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1'25"127 | 
4位  | 
ステファン・ヨハンソン | フェラーリ | 1'25"170 | 
5位  | 
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1'25"557 | 
2位  | 
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ホンダ | 1'20"536 | 
6位  | 
デレック・ワーウィック | ルノー | 1'25"622 | 
ドライバー  | 
チーム  | 
タイム・備考  | 
|
優勝  | 
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1゚46'01"813 | 
2位  | 
ステファン・ヨハンソン | フェラーリ | 1゚46'03"770 | 
3位  | 
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1゚46'06"154 | 
4位  | 
ケケ・ロズベルグ | ウイリアムズ・ホンダ | 1゚46'29"634 | 
5位  | 
エリオ・デ・アンジェリス | ロータス・ルノー | 1゚46'45"162 | 
6位  | 
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ホンダ | 1゚47'19"691 | 
16位  | 
アイルトン・セナ | ロータス・ルノー | ターボトラブルで長時間ピットイン | 
FL  | 
アイルトン・セナ | ロータス・ルノー | 1'27"445 |