1985年5月16・18-19日
モナコ モンテカルロ市街地コース
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「セナ」いう名を広く世界に知らしめた大雨のモナコGPから1年が経過し、
セナは早くもトップドライバーとしてこの地に帰ってきた。
そして金曜、土曜共に最速で3戦連続でPPを獲得。
ただ、土曜予選ではドライバー間でちょっとした問題が生じた。 道幅が狭いモナコで、ラウダ(マクラーレン)とアルボレート(フェラーリ)が、 「アタック中にセナにブロックされた」として非難したのだ。 ただ、セナは故意にライバル達のアタックを妨害したわけではなさそうだ。 セナは、ラウダに対しては、 「ミラーを見るのが遅すぎた。完全に僕のミス。…申し訳なく思う。」として謝りに行った。 その一方で、ラスカスで挑発的にセナを抜いていったアルボレートに対しては、 「どうして半周待ってからクリアラップを走らないのだろう。道を空けるのは僕の義務じゃない。 彼が自分でクリアラップを探さなきゃならないんだよ」と、一歩も引かない。 F1界の人物はケンカも早いが、仲直りが早いのも事実である。 アルボレートはもちろん、セナが素直に謝ったラウダも その時はその謝罪を受け入れず気まずくなったようだが、 セナとラウダはすぐにお互いを尊敬し合う間柄になり、 アルボレートともサーキット内の数少ない友人の一人として理解し合っていたようだ。 こうしてドライバー間のちょっとしたトラブルが生じた土曜日だったが、 日曜日はチーム内のメカニカルトラブルに見舞われることになる。 決勝レース直前、タイヤを温める電気ブランケットがショートし、 冷たいフロントタイヤと暖かいリアタイヤでスタートせざるを得なくなった。 「フロントタイヤが温めるまで、マシンのバランスが極めて悪かった」とは言うものの、 それでもアルボレートを押さえ込み、そしてその差を4秒まで広げていった。 このままのペースで行けば前年に逃したモナコ初優勝も、かなりの現実味を帯びてきたと思われた。 しかしそんな中、突然14周目にエンジンが壊れ、リタイアを余儀なくされた。 「モナコの女神はセナびいきだ」とよく言われたが、 セナにもメカニカルトラブルや88年のポルティエでのクラッシュなど、 平等に試練が与えられたと思う。 ただセナの場合、これらの屈辱や試練を教訓や自らの力とし、 わずかなチャンスを確実に生かせる術を身につけ、 「モナコマイスター」へと成長していったのではないかと思う。  | 
ドライバー  | 
チーム  | 
タイム・備考  | 
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PP  | 
アイルトン・セナ | ロータス・ルノー | 1'20"450 | 
2位  | 
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ホンダ | 1'20"536 | 
3位  | 
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1'20"563 | 
4位  | 
エディ・チーバー | アルファロメオ | 1'20"729 | 
5位  | 
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1'20"885 | 
6位  | 
テイリー・ブーツェン | アロウズ・BMW | 1'21"302 | 
ドライバー  | 
チーム  | 
タイム・備考  | 
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優勝  | 
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1゚51'58"034 | 
2位  | 
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1゚52'05"575 | 
3位  | 
エリオ・デ・アンジェリス | ロータス・ルノー | 1゚53'25"205 | 
4位  | 
アンドレア・デ・チェザリス | リジェ・ルノー | 1Lap | 
5位  | 
デレック・ワーウィック | ルノー | 1Lap | 
6位  | 
ジャック・ラフィット | リジェ・ルノー | 1Lap | 
リタイア  | 
アイルトン・セナ | ロータス・ルノー | 13周、エンジン | 
FL  | 
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1'22"637 |